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zoom RSS キリシタン弾圧が起こった訳

<<   作成日時 : 2018/07/01 14:11   >>

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「潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に登録されるそうです。

昔は「隠れキリシタン」と言っていましたが、
最近は「潜伏キリシタン」と呼ぶ様になったのでしょうか。

それはともかく、登録理由がキリシタンを美化しすぎで、
私としては多少違和感を覚えてしまいます。

キリシタンが弾圧されたのはそれなりの理由があったからです。
以下は過去記事の再掲になります。


キリシタン弾圧の真実

「火薬一樽につき娘50人」

キリシタン弾圧には悲劇的なイメージをいだきがちですが、
実際は正反対で日本女性の受難の歴史が秘められています。

当時の西欧諸国は先ず相手国にキリスト教を広め、
後から軍隊を送り植民地化する政策を取っていましたが、
その先兵となったのが宣教師達でした。

最初は甘い顔をして近づいてきたからでしょうか、
信長や秀吉はむしろキリシタンに好意的だったのです。

それが一転して彼らを危険視するようになったのは、
神社仏閣の破壊や日本人の人身売買が続いたからです。

キリシタン大名が火薬欲しさ故に娘達を南蛮船に運び込み、
縛り上げるので泣き叫ぴ、喚くさま地獄のごとし。


これは当時の記録の一部ですが、
ローマ法王に面会した天正少年使節団の報告書には、
各地に日本人奴隷がいるがその数およそ50万であろう、
との記述があります。

「遠くに売られて行った全ての日本人を連れ戻せ」
秀吉はバテレンにそう命じていました。

聞くところによれば、
天草四郎の生まれ変わりと称する芸能人がいるそうです。

それは本当の歴史を知った上で言っているのでしょうか。
一度確かめてみたいものです。


キリシタン弾圧の真実 2



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